それは人間の値打ちでは無い   人間の値打ち - カワセミ側溝から (旧続・中岳龍頭望)

人間の値打ち/パオロ・ヴェルズィ監督

 イタリア映画。イタリアと言えば昔は映画の名門国だったが、今はすっかり没落した感がある。まあ、日本にあんまり配給されないだけだろうけど。この映画はイタリアなのに配給されているので、久しぶりに名作なのか? と勝手に思って観たようだ。思惑はだいぶ外れてしまったが…。だいたいどう評価してよいかよく分からない作品で、展開としてはよく出来ているが、人間の倫理観としてこれはどうなのか? という展開が多すぎて、ちょっと物語どころでは無い感じもする。そういうところを掘り下げて考えている訳ではたぶん無くて、そういうサスペンスを作る為の設定に過ぎない気もする。みんなどこかおかしいのだが、それはいったい金の為か愛の為か見栄の為なのか? イタリア人は本当に不思議である。

 いちおうある夜のひき逃げ事件の真相を、それぞれの立場から見ながら解き明かす展開だ。最初に疑わしいと思われている人物のまわりの人に、いろいろと問題が多すぎる。そうしてそれぞれにちっとも共感が持てない。金持ちの夫人のイラつきだけがなんとなくわかるけれど…。それに共感は出来ないまでも、最終的にはなんとなく可哀そうかもしれない。また、邦題の「人間の値打ち」だが、原題が何だか知らないが、そういう趣旨の映画では無い。ほんとにまあ、よくもこんな変な倫理観の人ばかり育ったものである。イタリアのサッカーみたいなものなんだろうか。

 いい人に見えても、一人の人物には別の内面があるというのはある。最初はそういう話なのかとも考えた。しかし考えてみると、そういう部分も薄いのである。金が欲しい人も、愛が欲しい人も、それが叶わないことで、もっと葛藤するのではないか。いや、葛藤してないとは言えないが、そういう解決の仕方というのが、今一つ納得のいかない展開である。みんな悪い人ばかりなのだが、正当化するやり方もまた、どうもいけない。みんな人間の価値として、低い人ばかりだという話なのか? 人とのつながりがあるはずなのに、自己中ばかりだとこういう社会になってしまうという事なんだろうか。イタリア人は家族を大切にするというが、そうしてそれはあながちウソでは無いと僕は思っているが、こういう映画を観ると、たぶんそれは嘘である。だから日本人で良かったという話ではないが、こういう倫理がまかり通ると、やはり社会は不安定になるしかないのではなかろうか。